2011年07月10日

ヨーロッパに渡った文鳥

文鳥がヨーロッパに渡ったのがいつかは明らかでないが、ジョージ・エドワーズ(1694−1773)の書いた『珍しい鳥の自然史』※1は最初期の記録だろう。

エドワーズは一七世紀イギリスの博物学者・鳥類学者である。「イギリス鳥類学の父」と呼ばれ、また鳥類の銅版画を製作し高い評価を得た。エドワーズが1743年から1751年にかけて出版した『珍しい鳥の自然史』は、ヨーロッパでは知られていない鳥の図と解説を組み合わせたもので、その中に文鳥がいる。文鳥は、パダ・バード(Padda bird)およびライス・バードという名で載っている。

エドワーズは、ハンス・スローン卿の家で、生きた文鳥を見た、と書いている。しかし、生きた文鳥を見たのはそれだけで、他は伝聞や標本を元に書いていて、不正確な部分が多い。たとえば、成鳥になる前の文鳥をメス、成鳥をオスと誤認している。(一方この頃、日本では文鳥の繁殖をしている。)

「ブンチョウを中国から運んできた人たちは、それをパダ・バードと呼んでいる。パダとは稲のことで、ブンチョウは稲籾を餌として与えられてるので、そう呼ばれる。したがって、ライス・バードというのは、それほど的外れではないだろう。」

「東インド会社をつかう人たちは、これらの鳥をみて、ジャワ・スパローまたはインディアン・スパローと呼ぶ。彼らはジャワでそれを見たという。もしそうなら、東インド会社の貿易国の大半でその鳥が見られることになる。しかし、中国とジャワの貿易によって飼い鳥として多くがジャワに輸入され、それでジャワ原産だと思われているのだろう。私は、この鳥の姿を中国の絵にたくさん見たので、この鳥は中国産だと納得している。」

ライスバードというのは今でもつかう名称だが、意外な語源であることが分かる。ジャワ島で米を食い荒らすからライスバードと呼ぶ、というのが通説だがそうではなかったのだ。

中国での当時の呼び名が、パダ・バードだというのは本当だろうか。100年以上後の、1879年に出版されたジェニーの『外国の飼い鳥』※2でも、中国語での名称をパディー・バード(Paddy Bird)としているので、無根拠な話ではなさそうだ。

堀田正敦の『禽譜』は文鳥の異名として、「いなすずめ」を挙げている。しかし、日本語で稲雀というのは、俳句などでよく使われる、稲田にあつまるスズメのことで、文鳥の意味はない。

いまでもブンチョウのことを中国語で禾雀というが、当時からそうした呼び方があったのかも知れない。禾は古代では粟を意味したが、のちに広く穀物、とくに米を意味するようになった。禾雀を英訳したのがパダ・バードで、和訳したのが「いなずずめ」なのだろう。

この『珍しい鳥の自然史』の鳥名には、カール・フォン・リンネ(1707−1778)によってラテン語名がつけられ、リンネの著作『自然の体系』※3にも掲載された。リンネの『自然の体系』は知られている動植物に、属名と種名の二語をラテン語でつけ、それによって生物分類を体系化をはかるものであった。この業績によってリンネは「分類学の父」と呼ばれている。そして、1758年に出た『自然の体系』第十版の記載が、今日の学名の出発点となった。

リンネが、『珍しい鳥の自然史』および『自然の体系』で文鳥に与えたラテン語名、すなわち最初の学名は、Loxia oryzivora である。

※1 George Edwards:"A Natural History of Uncommon Birds"(1743-1751)
※2 C.W.Gedney: "foreign cage birds"(1877)
※3 Carl von Linne: "Systema Naturae" (1758)

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
posted by yanagisawa at 14:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2011年02月26日

崎陽斎来目録の鳥獣関係

まえにちょっと調べかけたやつの続き。かなりいい加減だけど、載せてしまおう。(誤りなどは指摘してください。)

前回の記事 http://rara-avis.sblo.jp/article/38464951.html

崎陽斎来目録. 天保元-13年
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ne03/ne03_03578/index.html

続きを読む
posted by yanagisawa at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年07月17日

世界最古の文鳥の絵(かもしれない)

上海博物館に梅竹寒禽図という絵がある。雪のつもった梅の枝に小鳥がいて、これが文鳥に見える。梅も雪も文鳥にはそぐわない感じだが、描かれている文鳥の姿がいい。くちばしを背中に埋めて、目を閉じている。これは文鳥が寒がっているときの、典型的な姿だ。文鳥の飼育や観察にもとづいた絵なのだと思う。

描いたのは林椿。淳煕(1174-1189)年間に活躍した、南宋(杭州)の画家。日本で言うと源平合戦の頃なので、そうとうに古い。

aa251d4f9bc8092bafc3abfc.jpg

梅竹寒禽図
http://baike.baidu.com/view/252230.htm

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 13:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年05月23日

「崎陽斎来目録」はすごいのだけど、しかし

少し前の記事にも書いたが、早稲田大学の図書館に「崎陽斎来目録」という文書がある。これは天保年間に長崎に到着した輸入品の記録だ。崎陽というのは長崎の別名。もともとは田安徳川家の所蔵とらしい。磯野直秀の「鳥獣舶来図誌」は長崎の代官による幕府に送った記録の控えだが、「崎陽斎来目録」はそれを受け取った幕府側の記録になる。図譜はなく文字だけだが、詳細で興味深い。しかし、私にはこの文書を読む能力がないので、実に悲しい。「鳥獣舶来図誌」ではこの文書に何の言及もないのだが、なぜだろう?

以下、1830年に到着した鳥の記録の例。
2010052310.jpg 2010052311.jpg
ne03_03578_0001_p0036.jpg
ne03_03578_0001_p0037.jpg

崎陽斎来目録

当(夏?)唐紅毛持渡鳥獣覚
・唐方
青海音呼(ズグロゴシキセイガイインコ) 壱羽
小型青海音呼(不明) 五拾羽
九官鳥 九羽
黄鳥 (コウライウグイス)六羽
倒(挂?)鳥(サトウチョウ) 七羽
達磨音呼 弐羽
沈香鳥(キンパラ) 二拾五羽
十姉妹(コシジロキンパラ他) 十壱羽

・紅毛船
大紫音呼(オオハナインコ・メス) 三羽
大鼻音呼(オオハナインコ・オス) 壱羽
紅音呼(ヤクシャインコ?) 壱羽
小形紅音呼(アオスジヒインコ?) 壱羽
青音呼(キボウシインコ?) 拾四羽
鸚鵡(コバタン) 八羽
九(官?)鳥 壱羽
紅雀 拾六羽
鳩 八羽
孔雀 六羽
文鳥 百三拾七羽
尾長猿 五疋
ピルポタート鳥(コモンシャコ)壱羽
錦鳩(キンバト) 壱羽
長生鳩(チョウショウバト) 二羽
(弁?)柄鳩 七羽
小形達磨音呼(不明) 三羽

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 21:31| Comment(5) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年05月21日

2010年04月24日

カラー文鳥の起源

・シナモン
1965年、オーストラリアのAdelaideのMr.Burfieldのところに出現。1970年、南アフリカからヨーロッパに来た。

・パステル
1987年、Aloïs Van Mingeroetによってベルギーの commerçant de Nijlen(?)で発見された。

・クリーム
1997年にはじめて展示会に出品された。

・シルバー
1991年にオランダで確立された。

・シルバーイノ
1999年、ベルギーのBalen-Wezel、オランダのApeldoorn、フランスのRobecqで展示会に出た。

http://paddadejava.neuf.fr/ による。
posted by yanagisawa at 14:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年02月28日

辞書の誤り?

バリケンという鳥の名前がオランダ語(ベルケヱンデ)であることは、堀田正敦の禽譜にある。

2010022803.jpg 2010022804.jpg
http://webarchives.tnm.jp/pages/zufu/list02.html

大辞林(三省堂)、広辞苑(岩波書店)、大辞泉(小学館)はどれも、”bergeende”の転訛だとしている。これは”bergeend”の誤りだと思う。


にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 18:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年02月03日

シナモン文鳥の謎

シナモン文鳥は1970年代にオランダで作られた。という説明がインターネット上のあちこちにあるが、その根拠は何だろうか?

古い本だと、『よくわかるジュウシマツの飼い方ふやし方』(大久保巨、1982年)には「古代ブンチョウというのは、古代キンカチョウのように、全身が茶褐色の小鳥をいいます。……最近、ヨーロッパで固定され日本に入ってきました。」とある。

『文鳥の本』(江角正紀、1999年)には「1970年代にオランダでブラウン系文鳥が改良固定され、日本にも輸入され高い人気を得ました。」とある。『カラー図鑑インコ・ブンチョウ・カナリアなどの飼い方』(宇田川龍男、1998年)や『わが家の動物・完全マニュアル文鳥』(スタジオ・エス、2002年)にも同様の記述がある。

一方で、『ペットバード百科』(デビット・アルダートン、原著1992年)には、「フォーンは1950年代にオーストラリアのアデレイドの巣引き場で最初に現れ、それから世界中に広まりました。」

また、イギリス文鳥協会(Java Sparrow Society UK)のバード・ショーのパンフレットには、
「トム(Tom Broderick)は1950年代に数羽のシナモン文鳥を得て以来、文鳥に真剣に取り組んできた。」
(Bird Show of the Year 2008
http://www.javasparrow.org/docs/Java%20Sparrow%20Society%20UK%20-%20BSOTY08.pdf

2010020301.jpg ララビスにはどうでもいい話だが…

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
[PR]
Yahoo!オークション > 本、雑誌 >> 小鳥
posted by yanagisawa at 17:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年01月31日

キンカチョウの歴史

十姉妹や文鳥は古くから国内で飼育されていて、料理でいうと天ぷらと同じくらいの歴史がある。その他のフィンチはだいたい明治以降になってから入ってきたが、キンカチョウ(錦花鳥、錦華鳥?)は、わりと古いほうだと思う。

調べた範囲では、最も古い記録は、1877年の「明治10年10月内国勧業博覧会出品動物類写生」だった。つがいで壺巣とともに展示されているので、もしかしたら巣引きもしていたのかもしれない。

20100131H0026718.jpg
http://image.tnm.jp/Zufu/H0026718.jpg

ついでに、この資料に記載されている飼い鳥の値段を書いておくと、
キンカチョウ二円五十銭、ヂヤガタラ(アミメ、シマキンパラ)一円、コマドリ二円五十銭、クロツグミ二円、ウソ九十銭、ヤマガラ一円、キンパラ二円、ヒバリ一円五十銭。

もう一つは、1880年。両羽博物図譜のなかに明治13年6月23日に描かれた絵がある。鳥名は「金シャウ」となっている。「明治維新前には見ることがなかったので、海外鳥かもしれない。この地方(山形県)で飼ってもよく産卵するが、雛が生まれたのはみたことがない。箱や瓢箪などを与えると、群れになって入り、冬でも耐えられる。」とある。※

20100131065.jpg 20100131066.jpg
http://library.city.sakata.lg.jp/MATUMORI/image_data/g09/065.jpg
http://library.city.sakata.lg.jp/MATUMORI/image_data/g09/066.jpg

明治36年(1903年)の『諸鳥飼養全書』には「三十年前より日本に渡りし鳥である」とあるので、だいたいこの頃に来たのだと思われる。料理でいうと、カレーライスくらいの歴史か。


※ただし、「両羽博物図譜の世界(http://library.city.sakata.lg.jp/matumori/asp/ym_ir.asp)」で金花鳥と検索すると、この「金シャウ」は「金花鳥」とは異なるという説明がよめる。(画像が欠落しているようで、よく分からない検索結果がでるが…)

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
[PR]
Yahoo!オークション > 本、雑誌 >> 小鳥
posted by yanagisawa at 17:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2010年01月28日

江戸時代の文鳥の絵

金沢美術工芸大学付属図書館の絵手本DBでは所蔵の画像を検索できる。
絵手本DB http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/main1.htm

文鳥の画像もいくつかある。やや混乱している部分があるので、すこし訂正してここに記録しておく。

gasen03d007a.jpg
画筌(1721)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/69/gasen03d007a.jpg

kokongasou04d016.jpg
古今画藪 後編(1771)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/76/kokongasou04d016.jpg

hitorikeiko02d022.jpg hitorikeiko02d023.jpg hitorikeiko02d024.jpg
漢画独稽古(1807)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/24/hitorikeiko02d022.jpg
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/24/hitorikeiko02d023.jpg
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/24/hitorikeiko02d024.jpg

koshugafud015.jpg
古秀画譜(1812)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/44/koshugafud015.jpg

kacho01d001.jpg
花鳥写真図彙 初編(1819)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/10/kacho01d001.jpg

hokusaisogad012a.jpg
北斎麁画(1820)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/41/hokusaisogad012a.jpg


banshokud019b.jpg banshokud024b.jpg
万職図考 初編(1827)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/19/banshokud019b.jpg
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/19/banshokud024b.jpg

kachoc004.jpg
花鳥画伝(1848)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/26/kachoc004.jpg

bairei01f007a.jpg
楳嶺百鳥画譜(1881)
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/35/bairei01f007a.jpg

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
[PR]
Yahoo!オークション > 本、雑誌 >> 小鳥
posted by yanagisawa at 17:21| Comment(6) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年11月01日

ガラッテキの正体

以前の記事青紅鳥(セイコウチョウ)についての中で、「青紅鳥は、じつは南洋青紅鳥とともに江戸時代に日本に来ている。」と書いたが、これはおそらく誤り。来たのは南洋青紅鳥ではなく、青紅鳥のオスとメス。オスとメスで色が違うのは良くあることだが、うっかりメスを南洋青紅鳥と誤解してしまった。

ところで、薩摩鳥譜図巻の中で、この鳥がガラツテキと呼ばれているが、これは何語なのだろうか。

ブンチョウのことをインドネシアの言語では、ガラッテキに類似した音で呼んでいるようなので、もしかしたら、ブンチョウの事なのかもしれない。

インドネシアにおけるブンチョウの呼称。
glathik (ジャワ語)、jelantik (バリ語)、galatik (スンダ語)、ghâltè' (マドゥラ語)、gelatik (Gedangan方言?)
http://www.lorrinlee.com/javaricebirdsinfo/

そうだとしたら、ガラッテキはどのような意味を持つのか?「文鳥」が中国語ではキンパラ属一般を指すように、ガラッテキもフィンチなどの広い範囲の鳥を指す言葉で、かつては青紅鳥も含む概念だったのかもしれない。あるいは、インドネシアにいたときはまだ雛だったので、鳥種の判別がつかず、ありふれたブンチョウだと推測したのか。

インドネシア語は全く分からないので、的外れかもしれないが、想像してみた。

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年09月13日

青紅鳥(セイコウチョウ)について

434px-Erythrura_prasina_228.jpg
(画像はウィキメディア・コモンズからhttp://en.wikipedia.org/wiki/File:Erythrura_prasina_228.jpg

いま日本国内で飼われているスズメ目の鳥は、文鳥、十姉妹、がほどんどで、ほかに錦華鳥、カナリア、胡錦鳥が多少いるくらい。Erythrura属(青紅鳥属?)の鳥としては、日の丸鳥、南洋青紅鳥が売られているようだが、実物を見たことはない。

「小鳥の飼い方・殖やし方」(松本喬史監修、愛鳥育成会編、日本文芸社)によると、かつては青紅鳥も輸入されていた。

「わが国へは、昭和初期にはじめて輸入されました。数は少なく、巣引きの困難な鳥として知られています……輸入の歴史が新しく、飼育の経験もすくないことと、風土化しにくい点などから、現在はまだ一般に普及していません。」

けっきょく、国内からはそのまま居なくなってしまったようだ。海外のサイトをみると、青紅鳥をふくめて様々なフィンチを飼育しているようなので、うらやましい。

青紅鳥は、じつは南洋青紅鳥とともに江戸時代に日本に来ている。堀田正敦の禽譜の中に、類違十姉妹として記載されているのだ。

類違十姉妹 http://image.tnm.jp/Zufu/H0017976.jpg

いい加減に現代語訳すると、
オランダ人がジャカルタにいたときに、なんだか分からない鳥の雛をもらって長崎にもってきた。それは天明年間(1781〜1789)であった。そして巣立ちの後に美しい羽毛が生えてきた。薩摩に送ってから関東にまわし、いろいろな鳥の会に出すと皆が驚いた。弱い鳥だったので、まもなく死んでしまったが、二羽を描いた絵が残っている。また薩摩侯のもっているガラツテキとかいう鳥の図と比べてみたところ同じである。

ガラツテキの画像は国会図書館所蔵の薩摩鳥譜図巻の中にある。

学名がつけられたのは、青紅鳥が1788年(Erythrura prasina, Sparrman)、南洋青紅鳥が1835年(Erythrura trichroa, Kittlitz)だから、ずいぶんと早い時期に日本にきていたことになる。

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年08月10日

「文鳥村」について追記

宇田川竜男「原色飼鳥大図鑑」(保育社、1961年)には、白文鳥の起源について、つぎのように書いてある。

「作出されたのは明らかでないが、大正の末期から昭和の初めのころに、愛知県下で並ブンチョウから突然変異によって生じたのである。」

これが、「文鳥村」での白文鳥発祥に関する最も古い記述ではないかと思われる。年代が明らかにおかしいが、当時このような説が流布していて、それを検証せずに載せたのではないだろうか。

また、同書によると、

「愛知県下には文鳥村とよばれるほど、村のほとんどの家でこの鳥を飼っているところもある。また、東京の多摩川ぞいの地帯でも、文鳥村ができかかっている。」

多摩川のほうは、その後の住宅地化で消えてしまったのだろう。仕方ないことだが、ちょっと残念だ。

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年08月08日

弥富市の「文鳥村」について

1865年(元治元年)頃、弥富市又八地区に住む大島新四郎に嫁いだ八重女が、奉公先の武家から貰い受けたブンチョウを携えてきたことが、商業規模での文鳥生産の始まりと言われる。<中略>
明治に入って、弥富において、突然変異から羽根の白い文鳥が生まれた。これを改良し、固定したのが白文鳥であり、白文鳥と並文鳥を掛け合わせて作り出したのが桜文鳥である。
(ウィキペディア「ブンチョウ」より引用)

このような、説明はあちこちでみかけるが、根拠となるような資料や文献はあるのだろうか。私は、これは名産品の宣伝文句のようなもので、根拠がないと思っている。弥富における突然変異説については、明治・大正に書かれた白文鳥の起源の解説はすべて、これと異なった説明をしている

今日読んだ本のなかで、八重女起源説を否定する説明があったので、引用する。

 ……農家の副業に盛んに飼われ、尾張、讃岐地方は有名である。特に名古屋の文鳥村は人口に膾炙されていた。
 それは名古屋の南に当たる弥富付近の「又八新田」であった。そこでは明治七年、ふとした機会で飼い出した二戸から発達して、昭和元年には、全部落十八戸のうち十六戸まで飼養し、庭籠総数二千余個となった。
(岡田利兵衛、鷹司信輔、高野鷹蔵「小鳥」昭和27年、朝倉書店から引用)

これが事実ならば、明治七年(1874年)以前に、すでに白文鳥の記録が残っていることから、白文鳥弥富起源説は誤りであるとわかる。
(文鳥の歴史 その5 http://rara-avis.sblo.jp/article/28767989.html

この本は、まだ読んでいる途中だが、非常に充実した内容だ。そのうち感想を書きたい。
書誌情報「小鳥」 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000891580/jpn


にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年08月06日

卵づまりにはオリーブ油、の起源

細川博昭の「大江戸飼い鳥草紙」(吉川弘文館)にはつぎの記述がある。

 鳥に対する看護法としては実際には間違いであるにもかかわらず、ごく最近まで正しいと信じられてきたことがいくつかあった。例えば、卵詰まりの鳥に対して筆の先にオリーブ油を付けて肛門に塗ってやるとか、糞が詰まった時には少量のヒマシ油かオリーブ油を飲ませればよい、というのがそれである。こうした誤った知識は、江戸時代の書物に由来しているのかと思えば、そんなことはないようだ。江戸時代の飼育書には、同様の記述を見つけることができないからである。どうやらこれらの情報は、江戸時代以降にどこかの本に記載されたことが現在まで伝えられたもののようである。
 いつからこういった記述がなされてきたのか正確なところは不明だが、大正時代の飼育書『小鳥の講座』(三樹園主人著、大文館書店、一九二六年)には卵詰まりや糞が詰まった時の対処法として先の方法が明記されているところから、明治から大正のどこかで書かれた本にその由来がありそうである。(「大江戸飼い鳥草紙」から引用)

肛門にオリーブ油というのは明治からつづく民間療法だ。長いあいだ実践されてきたのだから、それなりの効果がありそうなきがするが、最近の飼育書では否定されていることが多い。この記事では、正しい対処法が何かについては無視して、この民間療法の起源を調べてみる。


小鳥の飼育書としてもっとも早くこの療法をとりあげたのは、おそらく、川口清五郎の「諸鳥飼養全書」(1903年)だろう。この本の中で、卵詰まりには「髯人参の根を煎じて飲ませ」などと記し、糞詰まりに対して、「『オーレブ油』を毛筆の先端につけて肛門を塗ってやれば宜い」と説明している。

ここで奇妙なのは、なぜオリーブ油なのかということだ。オリーブ油が日常的なものになったのは二十世紀末からであって、この本が書かれた明治時代には、かなり特殊なものだったはずだ。したがって、この療法は、欧米から伝わったのではないだろうか。と考え調べてみると、たしかにそうであった。

1888年に出版された「家禽病理書」(津野慶太郎編、有隣堂)は、養鶏における病気の対処法を、西洋の文献に基づいてのべた本だが、その中にオリーブ油療法がでてくる。

本症は産卵困難を患うるものにして稀に発するのみ。之を治するには油類を産道に塗り、卵の産出を容易ならしむ可し。リューウィス氏は左法を賞用す。すなわち、牝鶏の尾羽を抜き取り、其毛を……阿列布油に浸し充分油を含ましめて産道に容れ……
(「家禽病理書」から引用)

ここでリューウィス氏とあるのは、W.M.Lewsの書いた"The People's Practical Poultry Book"(1871年)のことで、つぎのように書いてある。

卵づまりの鶏を助けるには、尾羽を抜き取って先端以外の羽毛を取り除く。それを甘油につけて、十分に染みこませる。そして、それを産道に入れ、卵にあたるまで挿入する。そうすれば、すぐに良くなり、鶏は自分で産卵できる。もしまた困難になるなら、同じことを繰り返す。
("The People's Practical Poultry Book"から引用)

甘油(sweet oil)というのは、(種子ではなく)果実などからとれる油のことで、オリーブ油などを指すようだ。

このあたりが、オリーブ油療法の起源だと思われる。

川口清五郎「諸鳥飼養全書」(1903年)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000480659/jpn
津野慶太郎編「家禽病理書」(1888年)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000480427/jpn
Lewis, William M:The people's practical poultry book: a work on the breeds, breeding, rearing, and general management of poultry,(1871)
http://www.archive.org/details/peoplespractical00lewirich

にほんブログ村 鳥ブログ 文鳥へ
にほんブログ村
posted by yanagisawa at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年05月21日

訓蒙図彙の中の文鳥

忘れる前に文献追加

頭書増補訓蒙圖彙大成、巻六

2009052103.jpg
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kinmou/kunmou/06/187.jpg

これは、1789年版のようだが、初版は1666年。初版にはブンチョウの記載はないようだ
posted by yanagisawa at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年05月13日

東京家禽雑誌「瑞紅鳥の一話説」久永章武

2009051301.JPG 2009051302.JPG

明治二十九年十一月三十日発行の「東京家禽雑誌 第七十六号」に「瑞紅鳥の一話説」という論説が載っている。白文鳥についての記録としては古いものなので、全部で三ページある中の一部を転載する。筆者は久永章武とあり、三河安城に在住のもよう(旗本の久永氏か?)新字に改め、句読点を追加。

2009051303.JPG

瑞紅鳥の一話説 久永章武

瑞紅鳥は通称を文鳥と呼び、元禄年中とかや我邦へ輸入し好禽家社会に於いては観鳥の上位に置きて大に賞玩を受けたりと。且値貴きのみならず現鳥甚た稀なれば貴顕の外は樊籠に養ひ、愛飼するは最も難きと其頃の記録に拠りて窺い知るに足るべし。且今は蕃殖し随所に飼養し、今尚ほ愛玩鳥の一なり。且又白文鳥は常種よりも変生せしものにして、其源を尋ぬるに、名古屋地方にて常種の胸部に白毛雑生せしもの産し、漸々白羽に変化せしを以て白文鳥の嚆矢となす。以後此種蕃殖し固有のものとはなれり。之全く日本産と知るべし。常種を「ナミブン」(並物の意なり)と呼び白文鳥を「ハクブン」(白文鳥の意)と称し種類を区別せり。又常種の頬黒きものあり俗称頬黒文鳥と云ふ。是は常種よりも間々雑生す。其他全身純白にして尾のみ黒きを尾黒と称し、頂のみ黒きを頭黒と称す。偖何れも羽毛麗しく観鳥として金殿玉楼に飼るるも適当の鳥なれば、往時は飼養家甚だ多しと。然るに蕃殖究て難事とかや、愛飼家甚だ尠しと聞く。
posted by yanagisawa at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

2009年05月06日

文鳥と美術

文鳥が登場する江戸時代の美術作品など。博物学的なものはのぞく。

狩野常信(1636-1713):鳥写生図巻(1711)
山口宗季(1672-1743):花鳥図(1715)
宋紫石(1715-1786):菊に文鳥図(1779)
伊藤若冲(1716-1800):鳥獣花木図屏風
佐竹曙山(1748-1785):椿に文鳥図、竹に文鳥図、松に椿に文鳥図、文鳥と十姉妹図
円山応挙(1733-1795):薔薇文鳥図(1784)
司馬江漢(1747-1818):生花図
長沢芦雪(1754-1799):花鳥蟲獣図巻(1795)、牡丹孔雀図
葛飾北斎(1760-1849):辛夷の花に文鳥
松村景文(1779-1843):四季花鳥図屏風
歌川広重(1797-1858):椿に文鳥、文鳥に木蓮、文鳥に梅、文鳥に鉄線、文鳥に桔梗、文鳥に山茶花、花鳥錦絵、花に文鳥の図
河田蟠渓:木瓜に文鳥図(1804-1818)
松村景文、中島来章、円山応震、円山応立:百鳥図
嵩岳堂主人:生写四十八鷹(1860) ぶん鳥桃花
posted by yanagisawa at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

江戸時代の文鳥図

国会図書館の貴重書画データベースで見られる文鳥図像。
http://rarebook.ndl.go.jp/pre/servlet/pre_com_menu.jsp

続きを読む
posted by yanagisawa at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史

江戸時代の文鳥に関する文献 その2

「小比賀氏案内にて長崎代官作右衛門殿宅鳥を今朝みる。
尾なが雉子 白閑鳥 孔雀 駝鳥 文鳥 相思鳥 インコ 喜雀 ヲランダ鳩 テウセウバト ジウシバイ ……」
三浦梅園:帰山録草稿(1778)

岩波文庫「三浦梅園集」から

「閑鳥」は一字、鷴
posted by yanagisawa at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史