2013年09月27日

座席の譲り合いのマナーで一番大切なこと

電車の中でだれかに席を譲るというのは気の進まない行為で、私はよろよろした老人とか倒れそうなサラリーマンとか、あきらかに坐らせないとまずいという場合しか譲らない。それは私が誰かに席を譲る権利を有しているのか、自信がないからだ。仮にそんな権利を持っているとしたら、降り際に誰でも好きな人に着席権(そんなものがあるとして)を与える事が出来るから、可愛い女の子に、「さあどうぞ」と譲って降りることが出来るはずだが、そうやって自分の席の後継者を指名する権利は、たぶんない。だとしたら、席を立って人に譲るなどという行為は、架空の権利を振りまわすに等しく、私にできるのはいま坐っているというこの権利を放棄することだけであり、席をゆずろうと立ち上がった瞬間、私の着席権は(だれかに届く前に)宙に消えてしまうのだ。

などと考えて、私の目の前に老人が立っていて坐り続けるのに気が引けるときでも、ただ立ち上がってその場を離れるだけのことが多い。

たぶんそれは考えすぎで、立っているのがつらそうな人に席を譲るのは、良くあることだし、良いことだと思われている。その一方、さまざまな場面で、譲るべきだ、いやその必要はないという議論もしばしば盛り上がる。電車で坐るというのは、ささやかではあるが当事者にとっては切実な権利だから。

(たとえば、私が以前良く利用した京王線では、昼間の各駅停車ならば、確実に坐る事ができる。急行や特急に乗ってハイキングに向かう老人に、若い乗客は席を譲るべきだろうか?)

だが、乗客が席を譲りたがらないのは、ほかに大きな理由がある。それは、譲られる側の問題だ。席を譲られた人が、「いえ、大丈夫ですから。」 などと断る光景をよくみる。譲ったほうも簡単に引き下がれずに、「そういわずにどうぞ。」 「いえ、すぐに降りますから。」 「いいえ、わたしも次で降りますから。」 などといいあって、それを周りの乗客が注視するものだから、譲った方は気まずくなって、「ともかくどうぞ」 と捨て台詞をのこしてその場を離れてしまい、譲られた方も気まずいような雰囲気がただよって、ぽつんと席だけが空いているという光景を何度も見たことがある。譲ろうとした人は、このあとまた誰かに席を譲りたいと思うだろうか。

たしかに、席を譲られるのに、理由が分からないことも多い。私も、病人に見えたのか何なのか分からないが、年配の人に何度か席を譲られたことがある。私は、もちろん、遠慮せずに坐った。

譲り合いのマナーで一番大切なこと、それは譲られたらちゃんとお礼を言って、ありがたく坐ることだ。

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posted by yanagisawa at 22:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
こんにちは。ずいぶん理屈っぽいことが書いてあると思いました。
譲ったのに座ってくれない人がいると、そんなに気になりますか。私はほとんど気にしません。その人はその人。私は私。
基本、つらそうな人や高齢者には譲る。簡単なことです。その必要はない、と言う人は、若く頑健で妊娠することもないのでしょうが、いずれ老人になった時のことを想像できないんですね。人間は小鳥のことを思いやって飼いますが、小鳥は人間を慮ったりしません。脳みその出来の違いですね。

ブログ主さんは違いますが、若者は譲らずにすむ理屈をぐちゃぐちゃ考えて、結局は譲りたくないか、周りが全く見えていない。どう見ても病身の老人が乗っていても、足を広げゲーム機を覗き込み、汚いカバンで一人前の場所をとる。着席権があるか知りませんが、特にシルバーシートでそれをやる者が多い。その醜さはサル以下です。
Posted by とおりすがり at 2013年09月30日 11:50
柳沢さんなんかあったんですか?^^;
そんなに深く考えなくていいと思いますよ?
考えすぎて生きてたら疲れちゃいます

私は率先して座りに行きます。
そしてお年寄りや譲ったほうがいい人がいたら声をかけます。
お年寄りが断ってきたら、この人は元気なんだなぁ。いいことだ。
そう思って次の必要としそうな人が来るまで座ってますよ。
断った人も嫌味で断ったのではなく感謝の気持ちはきちんと受け取ってくれてますよ^^
ふぁいとv
Posted by 井上トロ at 2013年10月19日 16:57
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