2012年01月05日

『飼籠鳥』における「文鳥」

水戸藩の佐藤成裕(1762〜1848)の著した『飼籠鳥』(を滝沢馬琴が写したもの)が国会図書館に存在する。自序が1808年なのでこの頃に書かれ、会津の人厳恪の序は1821年とあるので、この時には完成していたと思われる。

文鳥の項が面白いので、抜き出しておく。差し餌で飼うことの起源が分かる。

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文鳥
往々海舶載来る是れ彼の地の産にして一鉢大形なり。日本にて産したるハ皆小ぶりなり。其価も亦た高直(値)也。其故羽の色光潤も殊に美わし。是れ皆風土の志からしむる故なり。乃チ文鳥とて来る故に、今、通して此名を称す。志れとも書籍に於て文鳥の名及形状を説きたるを見ず。其大さ頬白より大にして総身深緗色に両頬至て雪白なる事、頗る四十雀に似たり。廻轉の間に鳴て甚だ愛らし。 先年は長崎にて殖し諸方へ出し、近年ハ備前の児嶋郡の林村の佐藤九郎治なる者盡く巧者にて、数百羽を籠にして大坂及江戸に出す。是に因て諸方尤も多く、皆此者の庭籠より出たるなり。其巣を作らしむ法ハ先雌雄共に若き鳥を撰び、雌雄相中(仲)の能く和合してむつましきを正二月の此より庭籠に入て、自分よりして巣草を引ヶしむ。自然と巣調いて卵を産す。雌雄共に伏して殻を出ス。能き籠鳥は一孕に四五羽に至る。其雛自ら口を開く。人の指したる餌を喰ハすに其雛を皆取上げて指餌にて養ふべし。其餌ハ鶏黄(タマコノキミ)に生采を摺りて粱粉(キミノコ)を相合て蟲餌の如くして養ふなり。成長するに■て粱を食ふなり。及チ庭籠に置く時ハ其親の■にて恙なく成長す。取上くれハ、又巣草を引て同く卵を生す。凡ソ取上くれハ二番児三番児まて孕す。故に近來ハ是れにて甚た殖へ易し。此鳥甚た水を好む一日に二度も三度も清水を代て与ふれハ、幾度も水を浴して甚。尾羽の光潤至て美しくなるなり。所に因りて水あしかれハ其光潤甚しく宜しからず。水を吟味して能く洗浄て水さへ能く与ふれは、見事になるものなり。是れ及チ文鳥を飼ふ一の秘伝なり。

(大意)
よく輸入されるこの鳥は、外国産であって、一回り大形である。日本産のものは、みな小ぶりである。その価格も高値である。そのため羽の色艶もとくに美しい。これは風土によるものだ。文鳥という名で来るので、この名前である。しかし、書籍で文鳥の名や形状を説明したものはない。その大きさはホオジロよりも大きく、身体は、深いあさぎ色で両頬は雪白なので、四十雀によく似ている。

以前は長崎で繁殖してあちこちに出していたが、近頃は備前の児嶋郡の林村の佐藤九郎治が非常に巧みで、数百羽を籠にいれて大坂、江戸へ出している。そのため、どこへ行っても、この者の繁殖した文鳥が多い。巣を作らせる方法は、まず雌雄ともに若い鳥を選んで、仲の良くなったのを正月、二月のころから庭籠に入れて、自分で巣草を引かせる。自然と巣がととのって、卵を生み、雌雄でともに卵をかえす。よい鳥は、一回で四、五羽をかえす。

人が差し餌をするには、その雛をみな取上げて、差し餌すべきだ。鶏卵の黄身に生野菜をすって、キビの粉を合わせて、虫餌のようにして与える。庭籠に置いておけば両親に育てられて、すくすくと育つ。雛を取上げると、両親はまた巣草を引いて、産卵する。一般に、こうすれば、二番子、三番子まで産むので、近頃はふやしやすい。

この鳥は、とても水を好む。一日に二度も三度も新鮮な水を与えると、何度も水浴びして、尾羽のツヤがとても美しくなる。水が悪いと、ツヤがよくない。水を吟味して、きれいな水さえよく与えれば、見事になる。これがつまり、文鳥を飼う秘伝である。

(参考)
享和のころ備中備前に文鳥を畜(か)ふことはやり、これも一羽数十金にあたる、岡山藩よりいたく禁じられてつひにやみぬ。(菅茶山『筆のすさび』)

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posted by yanagisawa at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼鳥の歴史
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