九官鳥は日本に生息しないので、「さるか」は和語ではなく外来語のはずであるが、語源は不明であった。(なお、大言海は「蕃語ならむ」と推定している。)
「さるか」の最古の用例は1694年に、貝原好古が著した「和爾雅」※ にある。
その後の多くの江戸時代の書物に、九官鳥の異称として「さるか」が揚げられているが、それが何語なのかは説明されていない。また、じっさいに使われていたのか、単に記録として記載したのかは不明。
「さるか」の語源は、サンスクリット語で九官鳥などを意味する sarika である。これが東南アジアに伝わり、タイ語およびカンボジア語では、九官鳥をサリカという。
16世紀初頭には、タイのアユタヤとカンボジアのピネアルーへ日本の朱印船が往来し、日本人町が存在した。そのため「さるか」と転じて、日本にもたらされたのだろう。
しかし、1635年ころ、朱印船貿易が廃止されると、日本とこれらの国との直接の交易はなくなり、「さるか」という言葉だけが日本に残った。そして、時代とともに、その出自が分からなくなっていったのだと、考える。

※ 和爾雅の原文は、ここ (早稲田大学図書館古典籍データベース)でみられる。ただし引用している秦吉了の文章は、ハッカチョウについてのもので、それを九官鳥と誤認している。
