2012年01月21日

巣の中のララビス

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2012年01月20日

江戸時代の桜文鳥

前に引用した文献によって、白文鳥がヨーロッパに渡ったときは、すでにサクラ文鳥がいた事がわかる。「サクラ文鳥の中の白いものを選んでいって、白文鳥が誕生した」 という説があるが、それが正しいのかは分からない。ただ、サクラ文鳥のような、ノーマルとは少し異なるタイプの文鳥が存在したのは確かなので、資料を列挙しておく。

(1)水谷豊文の『禽譜』(1810年ころ)
「一種カハリ、觜モト紅、先白、ホウ白ク、腹薄白、背薄白在、頭薄黒、足薄紅」

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国会図書館所蔵

(2)川原慶賀が描いてシーボルトがオランダに持ち帰った絵。1826年ころ。

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ライデン国立自然史博物館所蔵 (National Museum of Natural History)


(3)『鳩小禽等図』(1840年ころ)の「替文鳥」

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東京国立博物館所蔵

(4)山本 亡羊『百品考、二編』1848年
「其他種種色変リアレドモ却テ観賞ナラズ」

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早稲田大学図書館所蔵

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2012年01月17日

九官鳥を飼うまで知らなかったこと


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九官鳥の羽は白い紋がある。

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九官鳥は文鳥より毛深い。


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中国のブンチョウの絵

台湾故宮博物院には、宋の賈師古の描いた「諸仙妙繪、爪畦雀」という文鳥の絵がのこっている。賈師古は、南宋時代、紹興年間(1131-1162)に活躍した画院画家である。「諸仙妙繪」は宋代を中心にいろいろな画家の絵を16枚集めた図冊のようだ。

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爪畦雀(台湾故宮博物院)

爪畦雀(ジャワすずめ)すなわち、ブンチョウの絵となっているが、頬の白斑がなく、羽の先が黒いことから、イカルのように見える。

ブンチョウの原産地であるジャワ島とバリ島には、古くから数多くの国が興亡した。中国には、5世紀ころからの、この地域の記録がある。 宋代の『諸蕃志』は、ジャワ島のグルシクから中国に輸入される品として、「白鸚鵡」を挙げているので、ジャワ島からブンチョウが運ばれてきてもおかしくはない。しかし、宋代にはジャワの表記として、「闍婆」を用いた。「爪畦」(または「爪哇」)と書くのは、1280年ころ以降のようだ。(※1)

したがって、賈師古が描いたイカルの絵を、後の人がブンチョウと誤認して、爪畦雀と記載したのだと思う。

以前に記事にしたが、上海博物館にある梅竹寒禽図も宋代の絵だ。描いた林椿は、淳煕(1174-1189)年間に活躍した、南宋(杭州)の画家。これは雪の中で寒がっているブンチョウを描いたもので、実際に中国でブンチョウが飼われていたことを示している。

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梅竹寒禽図(上海博物館)

ほかに、台湾故宮博物院には、清代の康熙から雍正に描かれた余曽三の「鳥譜」中に「瑞紅鳥」、清代末の屈兆麟 による「丁香爪哇雀」もある。

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瑞紅鳥(台湾故宮博物院)

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丁香爪哇雀(台湾故宮博物院)

ついでに言うと、これらのいずれにも「文鳥」の語がないのは、「文鳥」が日本でつけられた名前であることを示していると思う。


※1生田滋「東南アジアの伝統と発展」(中央公論新社)による。


追加、清代の李世倬(〜1770)による文鳥の絵

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台湾故宮博物院所蔵

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2012年01月16日

白文鳥はいつ誕生したのか?(3)

白文鳥には、優性と劣性の二種類がある。

優性白文鳥は、弥富市で長く生産されてきたタイプで、雛の時には背中に薄灰色の斑(ぶち)があり、換羽ともに白くなっていく。劣性白文鳥は、雛のときから全身が白い。遺伝的性質は、次のようになる。

・優性白文鳥どうしからは、優性白文鳥とサクラ文鳥(並文鳥を含む)が生まれる。
・優性白文鳥と並文鳥(ノーマル文鳥)からは、優性白文鳥とサクラ文鳥(並文鳥を含む)が生まれる。
・劣性白文鳥どうしからは、劣性白文鳥が生まれる。
・劣性白文鳥と並文鳥(ノーマル文鳥)からは、パイド文鳥が生まれる。
・優性白文鳥と劣性白文鳥からは、優性白文鳥とパイド文鳥が生まれる。

そこで、問題なのは、江戸末期に現われた白文鳥は、どちらのタイプかである。結論をいうと、優性白つまりいわゆる弥富タイプの白文鳥であることが分かる。劣性白文鳥が同時に存在していた可能性は排除できないが、当時の資料が示しているのは、すべて優性白文鳥である。


"But in breeding from White Java Sparrows it frequently happens that in the same brood some of the young birds turn out speckled, or even quite blue, whilst others are pure white."
Blakston, W. A., Swaysland, W., Wiener, A. F. (1877–80). The Illustrated Book of Canaries and Cage

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「しかし、白文鳥どうしのあいだから、しばしば一腹の中に、純白な雛のほかに、斑のある雛、あるいは全く灰色の雛まで現われる。」

"It is said the white birds breed more readily in confinement than the common Java Sparrows, but amongst the nestings there are generally some, which either return wholly to the colour of their progenitors or are partially gray and spotted."
Dyson,C.E:"Bird-Keeping",(1878)

「白い文鳥は並文鳥よりも籠の中で容易に繁殖するといわれているが、雛の中には、すっかり先祖に帰ってしまった色や、部分的に灰色とまだらになっているものが出る。」

"Occasionally, nevertheless, some parti-coloured individuals will make their appearance in the nest of pure white parents"
Green,W.T:"Feathered Friends - Old and New",(1896)

「しかし時には、純白の両親の巣に、まだらの個体が現われる。」

"At last, in 1893, they brout up one youngster, its upper surface entirely pearl-grey, its under parts white, beak and legs flesh-pink: at the first moult the grey wholly disapeared."

"one being coloured like an ordinary wild bird in its nestling plumage, with black beak and all complete, two somewhat paler, with party black beaks, and two resembling the young plumage of their mother -- grey and white, with rosy beaks and legs."

"About three days later, my pair of white Java Sparrows were heard feeding a youngster, which left the nest three weeks later and resembled a wild bird in its first plumage."
Butler,G:"Foreign Finches in Captivity",(1889)

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「(筆者バトラーの飼っていた白文鳥のペアは)ついに、1893年、一羽の子どもを育てた。その背面は全体にパールグレーで、下面は白く、觜と脚は肌色だった。最初の換羽で背中の灰色は、すべて消えた。」

この白文鳥はメスで、バトラーはこれを並文鳥とペアにした。1894年2月3日までに5羽の雛が生まれ、3週間後巣立ちした。

「一羽は觜もすべて黒く並文鳥のような色で、二羽はすこし色が薄くて、觜は部分的に黒かった。残り二羽は母親の雛のときに似ていて、灰色と白の羽毛で、ばら色の觜と脚だった。」

「およそ三日後、白文鳥のペアも、一羽の雛に餌を与えているのが聞こえた。三週間後に巣立ちして、羽毛は並文鳥のようだった。」


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2012年01月15日

にほんブログ村の九官鳥カテゴリー

にほんブログ村に「九官鳥」というカテゴリーがあったので登録しておいた。いま、このブログしか登録していないし、今後もないような気がする。

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巣から顔をだすララビス

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2012年01月14日

ごんちゃんが出てきた

ごんちゃんはケージの中にいるのが好きなようけれど、めずらしく、自分から外に出てきた。

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少しずつ、外の世界にも慣れてください。

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白文鳥はいつ誕生したのか?(2)

1865年2月27日付けのロバート・スウィンホーの記録につづいて、いくつか白文鳥の記録がのこっているので、それを紹介する。

1866年5月22日発行の『エジンバラ王立物理学会報』のなかにある、ジョン・アレックス・スミスによる「鳥類学短報」は次のように記している。

March 28,1866.
"There was sent for exhibition an almost pure white finch, a so-called Japanese sparrow, recently brought to this country; the bird closely resembled the well-known "Java sparrow," of which, indeed, the specimen seemed merely to be a white or perhaps albino variety. "
Jhon Alex Smith:"Orinithological Notes",Proceedings of the Royal Physical Society of Edinburgh(1867),p393

1866年3月28日
日本スズメと呼ばれる、ほとんど純白のフィンチが、展覧会のために近頃わが国に運ばれてきた。よく知られた文鳥にとても似ていて、実際、白色あるいはおそらくはアルビノの文鳥と思われた。

「近頃」というのがどのくらいか分からないが、記載誌の前の号は、同年2月28日の発行であるから、数ヶ月前という程度か。

1868年2月28日発行の『週刊・園芸』という雑誌のバードショーの記事もある。

"We have much pleasure iu again recording the annual exhibition of Canaries and British and foreign birds at the Crystal Palace, which opened on Saturday last, and will continue until Friday.

The Foreign birds are not so well represented this year. There are some very beautiful Parrots, Cockatoos, and Paroquets. There is also a pair of Java Sparrows pure white, belonging to Mr. Hawkins, which attracted much attention. "
THE JOURNAL OF HORTICULTURE,1868年2月20日木曜日

クリスタル・パレスで毎年恒例のカナリア・その他の鳥の展覧会が、うれしいことに先週土曜に開幕し、金曜日までの予定です。海外の鳥は、今年は好調ではありません。美しいオウムとインコがいます。それから、ホーキンス氏の純白の白文鳥のペアも注目を集めてます。

とあり、白文鳥が受賞した記録も載っている。このときに出品された白文鳥は、話題となったらしく、複数の書物に記録がのこっている。

"At the Crystal Palace show in 1868, a pair of Java Sparrows were exhibited by Mr. Hawkins, entirely white, with the black head and throat and rose-coloured beak of the grey Java Sparrow, and with the plumage equally soft and downy, and I was told that they were most beautiful birds. The hen had laid four eggs. They came, I believe, from Japan, and were the first brought to England. Since then many pure white specimens have been exhibited."
Dyson, C.E. (1878). Bird-Keeping. A Practical Guide for the Management of Singing and Cage Birds.London

一八六八年、ロンドンのクリスタル・パレスの展覧会で、ホーキンス氏によって、一つがいの文鳥が展示された。一羽は全身が白く、もう一羽は喉と頭が黒く嘴の赤い、灰色の柔らかで滑らかな羽をもった文鳥だった。それは非常に美しい鳥だったときいた。メスは四つの卵を産んだ。その文鳥は日本から初めて来たと信じている。そのとき以来、多くの純白文鳥が展示されている。


年代ははっきりしないが、江戸時代の白文鳥の記録がさらに一件ある。ジェニーが1879年に書いた飼育書、『海外の飼い鳥』の中だ。なんと江戸に来て、繁殖の現場を実見しているのである。

"There are no birds, except canaries, which undergo such marked changes of plumage, when bred in confinement, as Java sparrows, and this is exemplified by the tendency exhibited by most of them either to sport whioe feathers or to become spotted with patches of dirty white and grey. The Japanese are enthusiastic naturalists and great lovers of birds. "

It was at Yeddo that I first saw an extensive bird breeding establishment, and there the manufacture of white Java sparrows was carried on upon a large scale. There were a large proportion of foul-marked birds produced, and these were sold for considerably less than the pure white specimens, a pair of which was presented to me by the courteous proprietor of the establishment.

These birds were bred in double cages, made of narrow strips of bamboo, coated with white chenam−a kind of whitening−and all the fittings were similarly painted, the whole being covered with a white calico case, which effectually prevented the birds seeing anything but their white surroundings, which were said to have a very marked effect upon the progeny.

I am not disposed to deny, nor can I affirm, the correotness of this theory, but my experience gces to prove that whilst these white birds breed more readily in cages than those of the natural colour, yet the white ones very rarely breed true to feather in this country. "
C.W.Gedney: "foreign cage birds"(1879)

カナリアを除けば、文鳥ほど飼育下で羽毛に著しい変化をした鳥はいない。それは文鳥が、白い羽となったり、あるいは汚い白と灰色のまだら模様になったりする事から分かる。日本人は、熱心な博物学者であり、偉大な鳥愛好家だ。

 私がはじめて大きな巣引き場を見たのは江戸だった。そこでは白文鳥の大規模な生産がおこなわれていた。かなりの割合で、染みのある鳥が生まれていた。それらは白文鳥よりずっと安く売られた。

これらの鳥は二重の籠で飼われていた。白く塗られた細い竹ひごと同じく白い器具の全体が、白いキャラコで覆われ、鳥は周囲の白以外には何も見えない。これが生まれる子にはっきり影響するのだという。

私はこの理論を肯定も否定もしない。経験的には、これらの白い鳥は野生の色の鳥より容易に繁殖するが、しかし、白い鳥がその色の子を産むことは少ない。

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2012年01月13日

白文鳥はいつ誕生したのか?

ジャワ島に住む野生の文鳥は、江戸時代から日本に輸入されていた。その中に白文鳥があらわれ、やがて白文鳥が飼育の主流となっていった。しかし、それがいつの事なのかは、よく分かっていない。

弥富市又八神社境内にある「白文鳥発祥の碑」によれば、元治元年(1864年)に八重という女が文鳥を持参して嫁いだため、又八部落での文鳥の生産がはじまった。明治初年頃になって、突然変異により白文鳥が生まれ、それが白文鳥のはじまりである。と説明される。しかし、この碑ができたのは1970年であり、これより古い文献に、同じ内容を見つけることはできなかった。そして、この碑文に矛盾する文献は多くある。

私が探した中でもっとも古い白文鳥の記録は、1865年2月27日付けで、ロバート・スウィンホーが、イギリス鳥学会の学術雑誌「IBIS」に台湾から送った報告である。スウィンホーは著名な博物学者で、台湾の高雄に在住していた。

I communicated before (Ibis,1863,p.380) the fact of Munia acuticauda having been domesticated in Japan to the extent of every shade of albinism and melanism, but I have not yet discovered whether the bird is found wild in those islands. I have since seen domesticated Java Sparrows (Oryxonis Oryzivora), also from Japan. These birds can scarcely be indigenous to Japan, and must have been taken there by the Dutch from Java. In the domesticated race every variety of albinism occured, but I saw no singns of a melanite tendency. The domestication may have only been partial. They breed freely in confinement, as do the Muniae.

Swinhoe, Robert:"Letters, Extracts from Correspondece, Notices, &c.",the Ibis,vol.I.1865,p348

以前、コシジロキンパラが日本で家禽化され、さまざまなアルビニズム(白化)とメラニズム(黒化)が起きている事実を、報告した。しかし、この鳥が日本で野生の状態で見られるのかは、まだ分からない。それ以降、私は、日本からの家禽化したブンチョウも見てきた。これらの鳥は、日本にはほとんど生息せず、オランダ人によってジャワから日本に運ばれたにちがいない。この家禽化された種では、さまざまなアルビニズムが起きたが、メラニズムの傾向はまったく見ていない。家禽化は部分的なものかもしれない。ブンチョウはコシジロキンパラのように、飼育下で自由に繁殖している。

「さまざまなアルビニズム(every variety of albinism)」とは何だろうか? アルビニズムとは通常全身が白くなることをいうので(サクラ文鳥も含むのかもしれないが)白文鳥のことだろう。ヒナのうちは背中に灰色の毛があるので、こういう言い方なのだと思う。

つまり1865年までには台湾で日本の白文鳥を見る事ができたとわかるが、では白文鳥はいつから日本にいたのか?

スウィンホーは1860年に駐台湾イギリス領事に任命され、1861年1月、台湾に赴任した。1862年5月には病気になり、イギリスに帰国した。イギリスで彼はロンドン動物学会のフェローに選ばれた。そして1864年2月に台湾にもどった。1864年9月に淡水区から高雄に移った。

このことから、スウィンホーが台湾で白文鳥をみたのは、1864年2月以降だとわかる。

そして、1860年には、日本で飼われていた白十姉妹などがロンドンに送られているにもかかわらず、白文鳥は送られていないことから、白文鳥が誕生したのは1860年から1864年にかけてだろう。

だとしたら、「白文鳥発祥の碑」の元治元年(1864年)とは、じつは、白文鳥が流行した年ではなかっただろうか? この年号が白文鳥と結びついて記憶され伝えられるうちに、八重が文鳥を持参して嫁いできた話と混乱し、100年後の碑文は、混乱した内容になってしまった。

そう考えれば、元治元年というみょうに具体的な記述も、納得できる気がする。

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